AERA−02.11.25 (50)

マグロで水銀中毒
米国で「水俣」問題
−魚の水銀汚染で中毒患者が続々−

 健康食としてシーフードの人気が高まる米国で、マグロやメカジキなどを好んで食べていた人に水銀中毒症が続出。市販魚の水銀汚染の深刻さに関心が集まっている。           ライター エリコ・ロウ(文)

 サンフランシスコに住むマーケティング・スペシャリストのウエンデイ・モロさん(40)が、極度の消耗や手足のしびれに気づいたのは昨年初めのことだった。
 モロさんは3年ほど前から、「健康のために」と肉を魚に切り替えていた。週に3〜4回はマグロや鮭、オヒョウなどの魚料理や寿司を食べ、ランチも2日に1度はツナサンドだった。
 かかりつけの医師では異常は見つからず、「栄養をつけて良くなろう」と、それまで以上にたくさん魚を食べた。だが、吐き気などの症状が悪化。昨年6月に血液検査で安全基準の3倍の水銀が発見され、同様の患者の多発を調べていた内科医のジューン・ハイタワー医学博士を紹介された。
「魚で病気になっていたと知り、ひどく落ち込んだ」
 とモロさん。魚食を一切絶つと水銀値は10月にほぼ半減し、今年1月には基準値以下に下がった。症状も軽減した。
「高級魚を頻繁に食べる裕福な住民の間で水銀中毒症が多発」
 こう結論づけたハイタワー博士は、先ごろ米国立環境衛生科学研究所の機関誌に研究成果を発表した。大都市の消費者が多数、普通に出回っている魚で水銀中毒症になっていたというこの報告は、米国内で大きな反響を呼んでいる。

メカジキとの相関強い

 ハイタワー博士がこの研究を始めたのは2年前だった。きっかけは日系の中年女性。脱毛、記憶障害、気絶を訴えていた。血液検査から水銀中毒症と診断がつき、汚染源を探るうち、患者が寿司、刺し身、マグロ、メカジキなど魚が常食で水銀が蓄積したと分かった。
 それを機に、ハイタワー博上は、720人の患者の食習慣を調べた。すると、123人が米環境保護庁基準の「安全量」を超える魚を摂取し、水銀中毒症の疑いがある症状があった。うち116人の血液を調べると103人から安全基準の5倍以上の水銀が検出された。
 患者たちが食べていた30種のうち、水銀値との相関関係が最も強かったのはメカジキだ。メカジキの切り身を月に14枚食べていた女性の水銀値は安全基準の10倍だった。4歳ごろから原因不明の知育障害とされていた7歳児の水銀値は14倍。胎内感染のみで安全値を超えていた乳児の例もあった。
 臨床研究例では魚をよく食べる人ほど水銀を蓄積しやすかったが、個人差があった。飲酒と同様、同じ量を摂取しても、小柄な人や子供ほど影警を受けやすい。
 また、患者の追跡調査では、魚の摂取をやめるといずれも水銀値は低下、症状も軽減した。学業成績が改善した子供もいたという。「米国人は魚臭くなく小骨も少ないマグロ、メカジキなど大盤の高級魚を、ステーキのように大量に食べるから水銀を蓄積しやすい」とハイタワー博士は指摘する。
 水銀はそれ自体が有毒物質だが魚のタンパク質と結びつくとより有毒なメチル水銀になる。特に胎児や子供の脳神経に損傷を与え、知育や歩行、視覚障害、言語能力や記憶力の低下を引き起こす。大人では視力や運動能力の低下、言葉のもつれ、物忘れもある。
 人体は少量の水銀は排泄できるが、過剰に摂取すると水銀は血液に混じり体細胞に蓄積される。そのため低汚染度の魚を少量、頻繁に食べるより、高汚染度の魚を一度に大量に食べる方が水銀中毒にりやすいという研究者もいる。
 「メチル水銀は臨床試験さえ禁止されている有毒物質。それを含む魚が表示もなしに売られているのは消費者にとって大きな脅威」とハイタワー博士。
 水銀汚染度は魚の種類によって違うが、一般に小型魚より大型魚の方が危ない。汚染された小魚を食べるため、大きいほど水銀の蓄積量も多くなるわけだ。

妊婦と子供は魚に注意

 米国で水銀汚染が進むのは、石炭発電所からの水銀排気が無規制のためだ。自然環境で海にたまる。経済効率優先のブッシュ政権下、汚染状況は悪化傾向にある。
 そのため、一部の市販魚が胎児や子供にとって危険なことは、これまでも警告されてきた。
 例えば、米食品医薬品局(FDA)が昨年7月に発表した、新しい「安全な魚食ガイド」によると、妊娠可能または妊娠・授乳中の女性と子供はサメ、メカジキ、サワラ、大西洋産アマダイを食べるべきではない。その他の魚の摂取も週約340グラムまで。ただし、
「この推奨に従っていると、毎年100万人の子供が水銀摂取過剰となり、2万人は水銀中毒症による脳神経障害を起こしかねない」と、環境NGOのエンパイラメンタル・ワーキング・グループは、ガイドの甘さを警告する。また、ツナ缶として子供がよく食べるマグロについて、汚染度が高いにもかかわらず触れなかったため、漁業産業擁護だとの批判も招いた。
 FDAは、市販できる魚の水銀含有濃度に関して安全基準を設けている。かつては水俣病に関するスイスの研究に基づいて、魚1匹の平均で0.5ppmが安全の上限だった。だが、70年代後半にアンダーソン・シーフード社が「2ppmまで安全」と同局を訴え、判事が1ppmと裁定後、同局は1ppmまでは安全としてきた。
 だが、FDAは98年を最後に魚の水銀汚染度検査を廃止。昨年の米議会会計検査院の報告では、漁業者の58%は既存の安全基準すら守っていない。
 一方、環境保護庁の安全基準は人の摂取水銀量に関して、1日体重1キロあたり0.1μg(マイクログラム)まで安全としている。水銀汚染問題を追及してきたNGO「水銀政策プロジェクト」のマイケル・ベンダー会長によると、FDAの基準の5倍厳しい。
 例えば、体重60キロの人が週に1度、平均汚染度のマグロ(0.2ppm)を196グラム(7オンス)食べるのは、1日にならすと水銀量は0.093μg/kgだから安全の範囲内だ。だが体重約23キロの子供が同量を食べると、0.243μg/kgと安全基準を超えてしまう

妊娠可能または妊娠・授乳中の女性と子どものための魚食ガイド
こんな魚が米国から日本に輸入されている

州ごとに安全ガイド

 ただし、環境保護庁の基準は参照値なだけで、食品安全行政には使われていない。昨年の米防疫センターのデータでは、妊娠可能な米女性のうち約10%が、すでに胎児に脳神経障害をもたらすに足る水銀を体内に蓄積している。「社会責任のあるボストン医師会」のジル・ス・ティンさんも、「妊婦が水銀汚染度2〜3ppmのメカジキを1回食べただけで胎児の脳は発達障害を超こす」と言う。
 一方、国立環境衛生科学研究所は「低レベルの水銀汚染は健康に影響しない」と、今も魚食を奨励。
 こうした混乱から、独自の安全ガイドを設定する州も出てきた。
 ボストン産マグロで知られるマサチューセッツ州は、妊娠可能または妊娠・授乳中の女性と12歳以下の子供には、マグロ、サメ、メカジキ、サワラ、大西洋産アマダイ、ボストン湾産ロブスター、ヒラメ、オオノガイと淡水魚は食べるなと指示。ツナ缶も週に2缶以下、幼児はさらに制限するように勧告。魚の皮、脂身、血合い、ロブスターの緑の部分は捨て、フライより焼き魚にするよう指導している。
 カナダ政府は今年5月、生と冷凍のマグロ、サメ、メカジキの摂取を、女性と子供は月1回以下に、それ以外の人も週1回にするよう勧告した。カナダの安全基準は米国より厳しく、魚の水銀含有率は0.5ppmが上限だ。同国厚生省の食品分析で、魚介類の水銀汚染度ではサメとマグロが最悪で、1匹あたり0.5〜1.5ppmの水銀が検出された。
 エンパイラメンタル・ワーキング・グループも独自の魚食ガイドを発表した=右表参照。
 魚介類はPCBにも汚染されている。汚染度は肉類の10倍で、欧州連合の調査では、ヒトの栄養摂取の2.5%に過ぎない魚が、PCB汚染源の50%を占める。水銀とPCBが反応すれば、さらに深刻な神経障害の原因となる。

法律も調査もない日本

 全世界の魚流通の30%を輸入する日本にとっても、魚の水銀汚染は対岸の火事ではない。ボストン産マグロを始め、日本は年11億ドルを超える魚介類を米国から輸入している。しかも、水銀は国境を越えて広がる。スウェーデンやミネソタ州など一部の地域を除き、世界的に海の汚染度は悪化。どこ産の魚だから安心とはいえない。
 しかし日本では、水産庁は魚の水銀汚染度について規制をしていない。環境省も規制も調査もしていない。旧厚生省は、水俣病の発症を受けて1973年に「魚介類の水銀の暫定的規制値について」との通知を都道府県知事ら宛に出した。これが今も運用されている。
 それによると「暫定的規制値を超える魚介類を市場から排除すれば(中略)健康被害は生じない」とする「暫定的規制値は総水銀として0.4ppm」。ただし、「マグロ類(マグロ、カジキおよびカツオ)および内水面水域の河川産の魚介類(湖沼産の魚介類は含まない)については適用しない」とされる。法律でないため罰則規定はない。汚染度の検査についても、国内産品については都道府県に任され、国はノータッチだ。輸入品については、話題になったウナギのみ、検疫時に今年から始めた。
「魚の大消費国で水俣病体験国の日本が、国連でも水銀汚染対策のリーダーシップをとるべきだ」
 とベンダー会長。それでも「魚は栄養価の高い優良食品」と適度な魚食を勧めるハイタワー博士は、「魚の汚染は、長い間、海を戦場や有害物廃棄場としてきた帰結」と環境の浄化を訴えている。

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