読売新聞−2000年(平成12年)10月28日(土)

生活

注意欠陥・多動性障害(ADHD)と向き合うー5

 発明王エジソンも、ADHD(注意欠陥・多動性障害)だったと言われる。その名をとった、子供と家族を支援する会「えじそんくらぶ」(本部・埼玉県入間市、会員約750人)は98年、カウンセラーの高山恵子さんが、ADHDの子供を持つ友人と結成、親や教師向けのセミナーなどを開く。
埼玉県入間市にあるADHD(注意欠陥・多動性障害)の子供と家族を支援する会「えじそんくらぶ」 高山さん自身もADHD。子供のころから忘れ物が多く、一方的なおしゃべりで周りを困らせ、対人関係がうまくいかなかった。その傾向は成長しても残り、大学の薬学部に進んだが、実験で硫酸と塩酸を間違えるなど、うっかりミスが多かった。薬剤師の道はあきらめた。
 卒業後は、自宅で学習塾を経営。96年に教育学と心理学を学ぶため留学した米国で、初めてADHDとわかった。

 「幼い時から、温かく支えてあげれば、社会に適応していける。親も教師もADHDをよく知り、上手に支えるノウハウを学ぶ必要があります」。米国から帰国後に同会を作ったのは、自らの体験から、そう痛感したからだ。
 自宅を会の本部として開放、勉強会や家族の会を開き、全国各地のセミナーでは講師を務める。「今でも失敗はしょっちゅう」という高山さん。最近開いた神戸のセミナーでは、会場で使ったマイクをうっかり持ち帰ってしまった。
 毎月の定例会には、20人ほどの会員が集まる。
 「小学5年の長男ですが、担任の先生が変わってから、学校に行きたがらない」など近況報告。「ADHDと学習障害」など、テーマを決めて高山さんが30分ほど話し、質疑する。
 日ごろの愚痴も自由に語り合う。埼玉県のS子さん(42)は「夫や義母にいくら障害のことを説明しても、『しっけの問題』という考えが抜けず、子供を厳しくしかりつける。逆効果なのに……。ここではそんな話もできるので、気持ちが楽になります」と話す。
 今月初めて参加したH子さん(45)の二男は、中学生のころから勉強が遅れ、欠席が多くなった。高校2年の今、ほとんど登校していない。
 「小学生のころはADHDと知らず、愛情が足りないせいかと思って悩んだ。この会のように、気軽に情報交換できる場が欲しかった」と振り返る。

 同会はホームページ(http://www.e-club.gr.jp)で情報提供している。

 子供を支える輪は、地域や医療機関ごとの親の会という形で広がっている。仙台市には今年7月、親の会「ダ・ヴィンチ」が発足。代表の母親は「障害についての知識を社会に広げ、親が情報交換して励まし合っていきたい」と言う。
 千葉県でも今年3月、8家族で「JAC(Japan ADHD Club)」がスタート。北海道から九州まで各地に親の会ができている。
 ADHDの人は、創造力が豊かで実行力があるとも言われる。障害を個性として社会の中で開花させる。できるならエジソンのように−それがADHDをめぐる人々の願いだ。
                                                                    (渡辺 勝敏)

 関連記事−2000年10月02日 読売新聞 「ADHD(注意欠陥・多動性障害)」
        角田先生のアレルギーっ子の生活 「注意欠陥・多動障害とアレルギーっ子」
        

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