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  最近の流行り言葉の中に「切れる!」とか「ムカツク!」というのがありました。そして、14歳、17歳の未成年による凶悪犯罪が続く中で、あたかも若者だけがイライラしているかのように扱われてきました。
  しかし、犯罪を起こしているのは若者ばかりでなく、成人と呼ばれる人達も数多くいることは周知の事実です。
  犯罪に至らないまでも、「ギリギリのところで生きている」というのが正しいのでしょうけど、何故こんなにも大勢の人がイライラし、そのはけ口としての“犯罪”に結びついてしまうのでしょうか?

  つい先日も若い母親が3歳の息子(次男)を殺してしまった事件がありまた。新聞等のニュースによると「長男が落ち着きがない」、「皆と同じ行動が取れない」、「奇声を発する」等のことをとても気にしていたそうです。

  「皆と違う!」 これは当たり前のことであり、喜ぶべきことでもあるにも関わらず、身体に“ハンディ”がある(アトピー性皮膚炎や他のアレルギーがあることも含め)ことや思考や行動や言動が皆と違うと「その子の人生がすべて終わり!」であるかのように思い込まされてしまうようです。これは本人の“意識”の問題でもあるのですが、最近とみに気になっているのが教育も含めた社会のあり方や責任です。みんながみんな他人に迷惑をかけながら(=と育てあい、助け合いながら)成長していくものではないでしょうか。どの子も一人の人間として尊重され、その子にあった教育と環境が保障されなければならないのではないでしょうか? そして、地域の人達の温かい“目”があったら、本人もご両親もそこまで追い込まれないのではないでしょうか?

  愛する我が子が「他のことは違う」ことを認めることが両親にとってどれだけ辛いことなのかも判るつもりです。しかし、重度障害や難病を背負わされながらも必死に闘って来た仲間達を見てきた私には「親がそれをまず乗り越えない限りその子の自律も幸せもあり得ない」と思えてならないのです。それが、どんなに冷たく、厳しい社会であったとしても、その子の“生命”はご両親の判断・意志に委ねられてしまっているからです。

  私達は他人と比較しては劣っているところばかりに目が向いてしまいがちですが、その陰に隠れている、他の人にはない“輝き”まで見失ってしまっています。よく見れば、どの子にも、その子その子にあった生き方や“輝き”があるものです。それを見つけてあげられるか、それをその子の“自信”となり、自分の人生を生き抜いていく“力”と出来るかは、周囲の人達の理解と協力、そして、その子の成長に必要な知識と対応策を知っているか否かに掛かってきます。「学級崩壊がADHDの子ども達の所為」だとも言われています。「凶悪犯罪を犯した犯人がアスペルガー症候群や人格障害だった」と言われたことなどから、「怖い人達・危険な人達」のレッテルが貼られてしまいましたが、これはこの子達の“本質”を見ずに、そうした状況に追い込んだ真犯人を見逃し、追い込まれた彼等だけにその責任を押し付けるもので、とても認めることは出来ません。我が国は「精神医学や神経医学面では後進国」と言われています。精神科にかかるだけで「おかしな人・危ない人・ダメな人」のレッテルが貼られるため、専門家の治療やアドバイスが受け辛くなっています。これは本人にとっても周囲の人達にとっても大きな不幸です。

  ここでは、最近よく聞かれる注意欠陥・多動性症候群(ADHD、又はのび太・ジャイアン症候群)やアスペルガー症候群、ストレス障害などについての現段階で判っていることと対策を掲載し、正しく理解していただきたいと思います。

注意欠陥・多動性症候群(ADHD、又はのび太・ジャイアン症候群)
アスペルガー症候群
ストレス障害