毎日新聞−2001年(平成13年)06月18日(月)

学校と私

「教師は子供と同じ目線で」   日本史家  色川 大吉さん

日本史家 色川大吉さん 出身地の千葉県佐原市の小学枚時代は、けんかが強く成慎も良い、がき大将でした。転校生で体が大きく強そうな子が来ると「果たし合い」を挑んで、一撃のもとに殴り倒し、大将の座を維持し続けました。飛び級で小学校5年で進んだ旧制佐原中学では、歴史の時間が「西洋史」「東洋史」「国史」と分かれていました。西洋史の男性教師は授業でこぶしを振り上げながら「美女絢爛(ケンラン)たる花の都ローマをめざす」と活弁士のような口調でシーザーやナポレオンを説明します。
 夢中になって授業に引き込まれたことを覚えています。中学校も5年間のところを4年で修了して、仙台市の旧制二高に進みました。当時16歳でしたが、同級生に20歳の人もおり、大人の世界に放り込まれました。
 ドイツ語の授業もABCから教えるのでなく、いきなりゲーテの原書を読ませる難解さ。そんなこともあって次第に勉強より山岳部の活動に一生懸命になりました。蔵王山には100回登りました。
 1年の冬には戦争が始まりましたが、山岳部の先輩の中にリベラルな人がいて「これは正義の戦争でない。必ず負ける」と話してくれました。部の雰囲気もよく登山の際は下級生の荷物を減らし、その分を上級生が持ってくれるようなこともありました。
 仙台は当時は軍隊の町で、軍人がいばって歩いていました。2年生の時に同級生が昼間から酒を飲んで街を歩いていて若い将校に見つかり、将校は軍刀を抜いて追いまわした。同級生は高校の校長の家に逃げ込みました。いきり立つ将校に校長は「斬るのなら俺を斬ってから行け」と立ちはだかりました。校長は普段の言動は軍国主義的だったけれど、昔の先生は思想信条は別にして生徒とともにあるんだという気持ちが強かったですね。
 いじめの問題など今の学校を取り巻く現状は厳しい。閉塞(ヘイソク)した大人社会が教育にも反映されている。しかし若い教師が子供と同じ目線で情熱を持って取り組めば、現状は必ず突破できると信じています。

1925年生まれ。東大文学部卒。64年「明治精神史」で民衆思想史の分野を開拓。67年に東京経済大教授。80年から94年まで市民団体「日本はこれでいいのか市民連合」の代表世話人を務めた。

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