毎日新聞−2001年(平成13年)06月12日(火)

特集ワイド

山形大入試ミス問題
誤って不合格にされた人たちの人生

今春まで5回続いた山形大工学部の入試ミス問題。誤って不合格にされた428人の人生は、大きく変わってしまった。すでに他大学に入った人、大学進学をあきらめた人、受験しなおして入学した人……。大学の受けた傷も重く深い。元受験生や親らは「遅すぎた合格通知」を複雑な思いで受け止める。

浪人して電通大3年生  「予備校授業料母に負担『悔しい』」

 仙台市出身の電気通信大3年生(21)=東京都調布市=は、98年に電通大と山形大を受験したが、いずれも不合格だった。第2志望だった山形大は「安全圏」と確信していた。
 「絶対に現役で国立大に入らなければ」という事情があった。8歳の時に両親が離婚、父は2年後に病死した。フリーのコピーライターとして働く母(55)は2人の兄弟を育てた。兄は障害者だ。母は、二男の大学進学を機に、自宅を障害者のためのグループホーム(障害を持つ人が共同生活を営みながら、社会復帰や社会参加のためのケアを受ける場)にすることを決意。経済的に厳しくなるし、部屋もなくなる。「絶対安全】の山形大を併願したのもそのためだった。
 自己採点では合格の自信があった。母と兄との3人で、山形まで発表を見に行くと、当然あるはずの受験番号が見つからない。「泣いていたような気がするけど、よく覚えていない。何を話したのかも」
 「あなたはおっちょこちょいだから、マークシートの場所を間違えたのよ」と、母はなぐさめた。納得はいかなかったが、そう思うしかない。地元の予備校の寮に入った。志望校を電通大一本に絞り、懸命に勉強し翌春、合格した。
 山形大の入試ミスは5月18日、インターネットのニュース速報で知った。「やはり受かっていたんだ」。怒りより、落とされたときのショックがまざまざとよみがえった。26日に通知を受けた母からメールが届き、山形大工学部の教官からも電話が入った。「お詫びの言葉もありません」。言葉の内容とは裏腹に、メモを棒読みするような事務的な口調。「もう3年生ですよね。このままの方がいいかと思いますが、一応お聞きします」と、入学の意思の有無を尋ねられた。即座に断った。言葉短く電話を切った。
 「あの1年間の空白は大きいね」と母は言う。山形大に入った友人からも「かける言葉も見つからない。まったくふざけた話だ」とメールがきた。予備校の授業料は年間70万円、寮費は搗き万〜8万円かかった。母に大きな経済的負担をかけたのが悔しい。
 今は奨学金を受けながら大学院進学を目指している。だが、3年前のショックと屈辱は消えそうもない。「国立大が採点ミスなんてするはずがない。自分のケアレスミスだ」と自分に言い聞かせた日々。信頼はものの見事に裏切られた。「せめて今後はこんなことが起こらないように」と願うばかりだ。                                  【行友弥、江畑佳明】

東京の専門学校生

 今春、誤って不合格とされ、東京の自動車整備の専門学校に通う男子学生のAさん(18)は先月22日の晩、突然の電話で起こされた。
 「山形大台格おめでとう。(入学)手続き書類だけは出させてくれないか」
 岩手県に住む公務員の父(50)からだった。20日に「山大から合格の連絡がきた」と母(46)から知らされ、「東京での学生生活が軌道に乗っている」と入学の意思はないことを伝えていた。
 「特別な才能がないなら、大学だけは出ておきなさい」が口癖の父とケンカした日のことが思い浮かんだ。
 手応えがあった山形大入試で「不合格」になった時、心に浮かんだのは、自動車整備士になる夢だった。「専門学校で2年間みっちり勉強した方が、早く資格を取れる」と思った。都内の学校を選び、ひそかに資料を請求した。父に打ち明けると、厳しく反対された。かろうじて面接試験を受けたが、帰宅後、通信教育のパンフレットを渡され「自動車のことは、浪人して受験勉強の間にやったらどうだ」と言われた。父なりの配慮ではあったが、Aさんは、その場でパンフレットを破り、泣きながら外に飛び出した。
 ようやく父親を説得し、専門学校に入学して2ヵ月。突然の「合格」の報は、大学進学をめぐる親子関係に、再び微妙な波風を立てた。「『山大に入り直してほしい』という家族の希望も痛いほど分かる。金銭の負担も心に重い」。専門学校の学費は、2年間で約260万円。別に寮費が半年で約29万円かかるが、両親が払ってくれた。毎月の生活費は3万円の仕送りと貯金60万円の取り崩しで賄う。
 大学生になった自分を想像していて、はっとすることもある。「今の生活を変えるつもりはありません」と言った後、一瞬の間を置いてつぶやいた。「こういう場合、普通の人は、大学に行くものですか」
 照れながらカバンから取り出したノートには、几帳面な字がつづられ、教科書のあちこちにアンダーラインが引かれていた。「専門学校なら2年間しかないから緊張して勉強できる。でも、大学に入ったら、時間があって迷うかもしれない」
 「卒業後は、岩手の企業に就職して、将来は親の面倒もみたい」。両親へのお返しはその時に、と心に決めている。
                                                         【鈴木賢司、太田誠一】

「恨んでも仕方ない」

 誤って不合格にされた元受験生の反応はさまざまだ。中には「予備校ならではの貴重な友人ができて良かった」「恨んでも仕方ない。かえって人間的に大きくなれた」などと、前向きに受け止める意見もある。
 不合格の翌年に山形大を再受験して合格、工学部に在籍するある学生は「いつもいばっているイメージの教官が謝ってきたので驚いた。給料から見舞金を拠出するのもかわいそう」と、「おわび行脚」の教官にむしろ同情的だ。「不合格がミスだったこ
とを数人に話してしまったが、(ミスのおかげで合格した可能性のある)上の学年の人が聞いたら気を使うかも」と、逆に他人を気遣う余裕を見せていた。 

★山形大工学部★
 山形大は1949年に山形師範学校、米沢工業専門学校などを母体に創立された。工専の流れをくむ工学部は、高分子分野などで高い評価を更ける。特に、後期はセンター試験だけで受験可能のため、国公立志向の受験生に人気がある。愛知県をはじめ県外からの受験生の割合が高い。

入試多様化で教官負担重く ミス懸念、他大学にも
 山形大工学部の入試ミスが明らかになったのは、今年度から始まった情報公開制度を利用した受験生が「傾斜配点で必ず偶数になるはずの点数が奇数になっている」と指摘したことがきっかけだった。
 ミスは現在の採点方法を導入した97年春から続いていた。センター試験の「現代文」2問の100点分を2倍にするはずが、電算プログラムの変更を忘れ、配点のチェックもコンピューター画面を見るだけで済ませるずさんさだった。98年には、仙台市の予備校から「合格ラインの学生が落ちている」と指摘があったのに、放置していた。
 428人の出勇地別内訳をみると、宮城県55人▽山形県39人▽愛知県37人▽栃木県30人▽岩手県28人―などの順だった。
 予備校関係者は「入試の多様化が背景にある」という。少子化の中、大学間の受験生獲得競争が激化。学科ごとに受験料目を入れ替えたり、傾斜配点を行って受験生の選択肢を広げることが盛んだが、教官の負担は重くなる一方だ。国立大学協会によると、ある学長は「どの大学で起きてもおかしくないミス」と、懸念を示したという。
 山形大には今後、ミスで不合格となった元受験生への補償問題が重くのしかかる。入学を希望する人には国家賠償法に基づき、予備校や他大学の入学金・授業料、家賃などを国費負担する方針。慰謝料も検討しているが、国費による支払いは例がない。
 このほか、工学部の教授、助教授、講師が給与の2カ月分を拠出して総額約1億円の基金を設け、1人当たり10万円を支払う。ある助教投は「教授会でも反対はなかった。それぐらいの重さはある」と話す。他の学部教官からも「自主的に拠出したい」という声が出ているという。
                                                                        【石川淳一】

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