毎日新聞−2001年(平成13年)05月18日(金)

人間回復を 『悲劇に胸詰まった』
−「ハンセン病企画」読者から手紙やメール−

 90年に及ぶらい予防法の隔離政策が生んだハンセン病元患者への人権侵害と差別の実態に迫った企画「人間回復を〜ハンセン病熊本地裁訴訟判決を前に」(4月30日から5回連載)に対し、全国の読者から手紙やメールで約50通の反響が寄せられた。70代から高校生まで幅広く、「断種、堕胎の悲劇に胸が詰まった」など、ほとんどが実態を初めて知って驚いたというもの。国の政策を断罪した11日の熊本地裁判決について、反響を寄せた読者は「控訴せず、謝罪すべきだ」としている。
 連載で初めてハンセン病のことを知ったという福岡県宗像市の高校3年の女子生徒(17)は「もっと知りたいと図書館にいっても、ハンセン病の本はごくわずか。教科書にも何も書かれていない。なぜ大人は真実を教えてくれなかったのか。元患者が安心してふるさとに帰れるよう、過去の過ちを国民全体で謝罪すべきだ」と訴えている。
 東京都の会社員、海老原隆一さん(36)は元患者の隔離や差別の実態を知り、やりきれない思いだったという。「憲法違反の状態が40年間も放置されたことが悔やまれる。法の番人の裁判所にも違憲の法律を放置してきた過失があるのでは。国は控訴せず、一日も早く元患者と将来の政策について合意するよう願っている」としている。
 大阪市の高校非常勤講師、垣内純子さん(38)は「友人の元患者は病歴ゆえに受けてきたことを積極的に話し、数年前に亡くなった時は顔写真入りで、出身地の地方紙に掲載された」という。しかし「親せきへの配慮からか、私の知る名前ではなかった。あの新聞を思うたびに、一般の無知と偏見、それを変えてこなかった者の一人である自分の至らなさに腹が立つ。一刻も早く、国は謝罪し責任を果たしてほしい」という。
 宗像市の医師、久能恒子さん(63)は1959年、医学部6年生の時に
岡山県の長島愛生園を訪れた。隔離政策を枇判して台湾に渡った犀川一夫医師が当時、園で診療する姿に感銘を受けたという。「患者に素手で接していた。『接触では感染しないし、ここの患者の多くは治っている』ときっぱり答えた。どんな状況でも患者は人として対等であり、差別しないという姿勢は、私の医師姿勢の指針となった」とつづっている。
 久能さんは「国民としてこの判決を守りたい。国は『賠償額が高額になる』など、もっともらしい理屈をつけて控訴することはやめるべきだ」と話している。

小寺群馬知事も控訴断念求める
 群馬県の小寺弘之知事は17日、原告が勝訴したハンセン病国家賠償訴訟の熊本地裁判決で、国に控訴断念を求める意向を明らかにした。東京地裁で審理中のハンセン病国家賠償東日本訴訟に加わる群馬原告団(谺〈コダマ〉雄二団長)の要請に応えた。21日にも国に申し入れる。
 同原告団は、国立療養所「粟生楽泉園」(同県草津町)の入所者らで構成。県庁を訪ねた谺団長らに、小寺知事は「熊本判決を重く受け止めている。問題の全面解決に向けた行動を取りたい」と述べた。                 【大貫智子】

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