毎日新聞−2001年(平成13年)04月16日(月)

      学校と私 フリーアナウンサー 杉本 清さん

 友達でき、気持ち解放された

 奈良県大和高田市の出身です。小学校から高校までは地元の学校に通いました。
 子供のころはいつもめそめそした、ひ弱な子でした。人見知りの激しい子だったんです。だからそのころの私を知っている人は信用しないんですよ。今こういう仕事をしているとは。
 そんな内気な性格だったから、高校までは学校がおもしろくなかった。大学(関西学院大)に入って変わりました。入学式で、周りが「君」、「僕」とか、「そうだよね」という言葉づかいをしているのを聞いてショックでした。うちの田舎は関西弁の中でもなまりのきつい所で、「われ」、「おれ」の世界。友達がいなかったら、やっていけないなと思いましたね。
 その後、通学定期の証明書をもらうため学生事務所に行ったら、クラブの新入生募集のポスターが下がっていた。なぜか放送研究会のポスターだけ、目に入ったんです。引っ込み思案だった男が、その時だけは「よし、ここに入ろう」とすぐ決めました。その足でクラブの部屋に行きました。地方弁丸出しの僕に、先輩は「向いてない」と言いましたが「置いてください」と粘って、アナウンスパートに入れてもらいました。
 2年になって、最初のステージが巡ってきました。神戸国際会館での、軽音楽部のコンサートの司会です。美辞麗句を並べたせりふを覚えて行きましたが、スポットライトを浴びた瞬間、頭が真っ白になっちゃった。今ではいい思い出です。野球が好きで、大学野球の実況も担当しました。日生球場でやった、関学対関西大学の伝統の一戦。関大はピッチャーが村山実さん、キャッチャーが上田利治さんで、めちゃめちゃ強かった時代です。
 クラブ活動を通じ、たくさんの友達ができました。同じ電車で通った1年上の先輩や何人かの同級生とは今も付き合いがあります。内気な僕が変わったのは、いろんな友達とわいわいやるうちに、気持ちが解放されていったんだと思います。今、不登校の子が増えているそうですが、気持ちが内へ内へ閉じこもってしまっているのではないでしょうか。友達を作るって大切だと思いますね。

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