毎日新聞−2001年(平成13年)04月16日(月)

新・教育の森

 「非行」とどう向き合う

追い込む社会にも責任  −「親たちの会」全国交流集会−

 子供の非行に悩む親が集まり、親として何ができるかを話し合う全国交流集会(「『非行』と向き合う親たちの会」主催)が3月31日〜4月1日、千葉県柏市内で行われた。荒れるわが子の前で立ちすくみ、相談相手も少ない親たちの悩みは深刻だ。今回が初めての全国集会に参加した親たちは、互いに交流する中で、普段は打ち明けにくい体験、悩みを共有しあい、解決策を模索した。集会の内容を報告する。                                  【遠山 和彦】

 初の全国集会を開催した「『非行』と向き合う親たちの会」(世話人代表・能重真作国学院大講師)は1996年11月、任意団体として設立された。北海道から鹿児島まで約300人の会員がおり、東京で開く月1回の例会には非行問題を抱える会員の親たちが集まって、子供の立ち直りの道を探っている。

 東京都教職員組合が運営する東京総合教育センター(千代田区)で教育問題の相談を受けていた元教員らが設立に協力した。自身も相談員で設立当時からのメンバーの能重さんによると、同センターに寄せられる親の相談のうち、非行問題は不登校やいじめと並んで件数が多く、相談内容も「子供を殺して私も死のうと思う」まど深刻なケースが目立ったという。また、プライバシーに深く関わる内容のため、せっかく相談に来てもなかなか胸の内を明かせず、結局は一人で悩みを抱え込む傾向があった。そこで、同じ悩みを抱える親同士で、本音で話し合ってもらえれば、と「親たちの会」結成が決まった。実際、例会では、話し合うだけで「胸のつかえがおりた」と感じる参加者も少なくないそうだ。
 能重さんが、悩む親と接して感じるのは「『とにかく勉強しろ』といった親達の一方的な価値観を子供に知らず知らずのうちに押し付け、追い詰めてしまうケースが多い」こと。能重さんは「親が生き方を変えた時、子供も変わってくる。まずは親が冷静になり、それから少しずつ変わることが大切だ」と話している。

 集会には、親のほか、少年事件を扱う家庭裁判所の調査官や教師ら167人が参加した。まず、全体会では「子供の非行とどう向き合うか」をテーマにシンポジウムを行った。
 パネリストを務めた日本弁護士連合会(日弁連)・子どもの権利委員会委員の坪井節子弁護士は、少年事件での付添人経験を踏まえ「非行は決して親だけの問題ではない。子供を追いこむ大人社会全体に責任がある」と話した。また、児童自立支援施設・三重県立国児学園元園長の小野木義男さんは「子供に自分という人間は必要とされているんだということを気づかせてやることが大切だ」と述べた。
 この後、参加者は「学校と警察、児童相談所、家庭の関係を考える」 「家庭と学校、地域」など計四つのテーマ別の分料会に分かれて話し合った。
 参加したある父親は「親だけでは子育てはできない。学校、親、地域のそれぞれが問題点をしっかりと見極めていく必要がある」と話したほか、別の母親は「話しづらい悩みをオープンに打ち明けることができた。これからも前向きに生きていこうと思えるようになった」と語った。

☆参加者の体験から☆

 全体集会では、子供が非行に関わった男性(52)と女性(46)=いずれも東京都内在住=が、率直に自らの体験と思いを語った。 

悔やむ父「情けなかった」−「息子怖い」護身ナイフ持ち就寝−

 妻と大学4年になる長女、それに長男(18)がいる。息子は一昨年6月、東京・池袋の繁華街で年上の男性をナイフで脅して逮捕され、鑑別所に入った。知らせを受けた時「ついに来るものが来た」と思った。
 実は、息子はナイフ事件の1カ月前に高校を中退していた。そのころは深夜の午前1、2時になっても外出先から帰ってこない。ある日、心配になって、夜に少年たちがたむろしていそうな場所へ車で息子を捜しに行った。街なかで少年を捕まえ「うちの息子を知らないか」と聞いて歩いた。午前2時半ぐらいになって、小さな公園で息子ら16、17歳の少年数人が、高校生3人に殴るけるの暴行を加えているところに出くわした。「やめろ」と止めて、けがをした高校生を手当てしていたら、息子が「何で勝手なことをするんだ」と向かってきた。父親として恥ずかしいが、息子の形相が怖く、「自分の子にやられるかな」と思った。足が震えた。「やめろ、やめろ」と言うのが精いっぱいだった。
 それ以来、息子と家で顔を合わせると「怖さ」を感じるようになった。数日してから雑貨店で護身用に登山ナイフを買い、夜寝るときも身につけるようになった。息子に対する恐怖心を乗り越えるすべもなく、父として情けなかった。
 そして、決定的な事件。それまでは息子に「だらしない」という言い方しかできなかった。妻にも息子の非行を「おまえのせいだ」と言ったこともある。
 私は家が貧しくて小学校の時にカバンも買ってもらえなかった。「自分の子供だけには苦労をさせたくない」と一生懸命働いた。「子供はそんな父親の背中を見てよい人生を歩いてくれるはずだ」と思っていた。そして「何で勉強ができないのか」と言ったことが息子にとっては重荷になったのだろう。
 鑑別所を出た息子は今、チラシ配りのアルバイトで働き、夜もきちんと帰って来るようになった。「今はありのままの息子の姿を見よう」と思っている。

期待の母「今回は大丈夫」−二男が暴走族との「縁切り」宣言−

 家族は私と夫と19歳の長男、16歳の二男、11歳の長女の5人暮らしです。16歳の二男は中学1年の夏から様子が変わった。1年上の目立つタイブの子供たちから声がかかるようになった。やがて息子は「担任の先生から無視された。声をかけても返事もしてもらえない」と訴えるようになった。
 私は無理に学校に行かなくてもいいと思ったが、息子は体育と部活動が好きで通い続けた。部活動に行くと先生に「おまえはやめろ」と言われ、2年生になると顧問の先生に玄関のげた箱に頭をぶつけられ、殴られ「ユニホームを返せ、部活をやめろ」と迫られた。先生への信頼がなくなってしまった。
 やがて、バイクを盗んで捕まった。太い「ボンタン」と呼ばれるズボンをはいて、たばこを吸い、ピアスをして、髪の毛を染めた。授業を途中で抜け出したり、学校も休むようになった。中学の卒業式の時には頭は金髪のリーゼントにして、刺しゅうの入った制服を着た。本人は「前からやってみたかった」と言っていたが、親としては身を切られるようにつらかった。
 高校は1学期で退学して、家に寄り付かず、お金がなくなったときや、シャワーを浴びるために帰るぐらい。息子たちのたまり場は分かっていたが、行くことはできなかった。そのうちに暴走族に入り、昨秋無免許運転で捕まった。
 今年の1月、「今までみたいなことはやめる。 (暴走族の)人間関係は切る」と宣言してくれた。息子は「今はすごく楽だ」と言っている。暴走族でのいろんな緊張感から解き放たれたのだろうか。
 先日は兄弟でゲームをしているのを見た。事件が起きる前の家庭の風景が見えるようになった。荒れていた当時は思い詰めて「自分がいなければ子供は変わるかもしれない」とまで思った。今朝、非行の親の会に行ってくると息子に言ったら「もう行かなくていいんじゃないか」と言った。まだ心配だが、今回は大丈夫かなと思っている。

2001年04月のニュースのindexページに戻る