毎日新聞−2001年(平成13年)04月16日(月)

発言席

DNA確実に撒かれた

−東京家政大学教授・樋口恵子−

 介護保険が始まって1年、「変わりばえしない」、「かえって悪くなった」、という意見がある半面、どの調査でも「家族の負担が軽くなった」という回答は上位にある。
 スタート半年後、ある会社で私に手渡された手紙は、要介護度5の痴呆症の義母を介護する49歳の主婦からだった。

 「だれの心と体をいちばん救ったか、それは長男の嫁であると思います」「あきらめていた私の人生が一本の道として、もう一度見えてきました」
 現実には少し肩の荷がおりた程度だろうが、主婦は「平常の生活が与えられた」、「およばずながら他の方の力にもなりたい」とまで述べている。

 介護家族はいつも非常に孤独の中にいた。それが介護保険で堂々と外部サービスを使えることになった。介護保険は、外部サービスへの心の障壁を取り除く、バリアーフリーの役割を果たしている。
 とくに、これまでサービス利用をためらっていた新規利用者にとって「心のバリアフリー効果」は大きい。

 介護保険を契機に、自治体首長・職員・市民が思いがけないパワーを発揮し、介護保険を軸にした町づくりに発展している。町角の薬局を相談所にした市(岩手県宮古市)、市民グループが施設はじめサービス評価にも立ちあがった市(北九州市)など、介護保険の町づくりコンテストでも開いたら多くの好事例が集まるだろう。

 介護保険は、地方分権一括法と同時にスタートした。一見偶然のようだが、時代の必然である。
 地方分権一括法では、国の指示に従う機関委任事務を全廃し、その大半を自治体が条例制定権を持つ自治事務とした。介護保険はもちろん自治事務であり、保険者は市町村など基礎自治体である。
 介護保険は財源付きの地方分権の試金石でもある。上からの指示待ちでなく、みずから動き、政策決定に参画し、立案する時、人間はどんなに力量を上げるものか。
 私の周辺だけでも、介護福祉に関わりながら地方議員になった女性が数多くいる。生活者の視点からの活動が、男女共同参画社会を推進している。DNAは確実に撒かれた。

 厚生省自身「走りながら考える」という介護保険だから、動き出してから問題点が細部にわたって見えてきた。低所得層の負担感の大きさは、短期的にはきめ細かな激変緩和策がさらに必要だろう。中長期的には、高齢者の所得保証政策を抜本的に見直す必要がある。
 21世紀前半(後半?)の半ばに85歳以上の女性だけで全人口の約2割を占める「おばあさん」の世紀である。女性が老いて貧困におちいらぬよう、若年期から女性の雇用・社会保障対策を見直す必要がある。
 その点、もっとも気になることのひとつは、ヘルパーなど女性を主とする介護労働者の報酬が低く、身分も不安定という例が多いことだ。介護報酬は保険料にはね返るので「高く」とばかりは言えないが、今日の女性労働の悪条件は、明日の「おばあさん」の貧困に直結しかねない。
 他にも、医療が介護と対等なパートナーシップを結べるか、医療と福祉間の問題もある。半世紀に一度の新制度創出であるから、これからも問題は続出するだろう。その時は、介護保険のDNAに立ち返って対策を練り直すことだ。
 介護保険のDNA、それはまず、事実に立脚した政策であること、そして地方分権、自己決定権、情報公開、住民の参画であり、まとめて言えば官と民、地方と国、そして老若男女の対等なパートナーシップの形成である。
                                                            (毎週月曜日に掲載)

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