毎日新聞−2000年(平成12年)12月16日(土)

話題

訴え続けた「命の大切さ」

    詩人 島崎 光正さん  11月23日死去 81歳

 生まれながら二分脊椎症という障害を持つ詩人、島崎光正さんと初めて会ったのは昨年12月初旬だった。社会面で連載している企画「いのちの時代に」の取材班の一員だった私は「出生前診断」の安易な運用に歯止めをかけるため精力的に活動していた島崎さんにインタビューを申し入れた。
 アルプスの山々がよく見える長野県塩尻市内の一軒家で私を迎えた島崎さんは、障害者用自動車のハンドルを握って、生家や卒業した小学校を案内してくれた。第一作詩集「故園」をはじめ、数々の詩を世に送り出してきた島崎さんは、祖父母の墓標にも言葉を刻んでいた。

 ぢいと ばばと 並び 山見ませ

 飾らない人柄で紡ぐユーモラスな響き。しかし、それとは裏腹に、島崎さんの生涯は苦難の連続だった。
 福岡県の大学病院で内科医をしていた父を亡くしたのは生後1カ月目。母早苗さんは、夫の死を機に長崎県の実家へ戻り、島崎さんは父の故郷、長野県片丘村(現在の塩尻市片丘)に住む祖父母の元で育った。
 二分脊椎症は脊椎の形成不全で下肢の神経がまひする。成長期に入り島崎さんの症状はさらに進む。小学校では授業中に失禁を繰り返し、同級生にからかわれた。生みの親への思慕が募った。いろりの灰に火ばしで「早苗」と書いては消す島崎少年に、祖父母は、母のその後を打ち明けた。
 父の初盆を前に、母は墓参のために島崎家を訪れ、生後半年余りの島崎さんと数日間を過ごした。長崎への帰路、わが子との別れのつらさに心を病み、今はかつて父が勤めた病院に入院している−。
 「こんな体の自分を、母はそれほどまで愛してくれた」。母の悲話から受けた感動が、出生前診断に対する姿勢の支えとなった。
 28歳で洗礼を受けた。1998年4月には、キリスト教者の立場から、厚生省の先端医療をめぐる審議会で出生前診断に関する意見を述べた。
 自ら「肉の刺(トゲ)」と呼ぶ二分脊椎症と闘いながら、命の大切さを訴え続けた生涯。島崎さんの言葉は多くの人の胸を打った。母体血清マーカーなど出生前診断について、厚生省の専門委員会は「医師は勧めるべきではない」との見解を示した。
 今年2月には、全国キリスト教障害者団体協議会の編集責任者として、「喜びのいのち−出生前診断をめぐって」と題した本を世に送り出した。「医学の力で障害が治るものなら治したい。しかし、医学が障害者の存在を否定するようであってはならない」。私にそう語った島崎さんの遺志は、これからも生き続けるに違いない。
                                                        【社会部・岩崎 信道】

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