毎日新聞−2000年(平成12年)10月27日(金)

みんなの広場

『重度障害の息子の外出で困ること』 
         主婦 斉藤 裕子 32(東京都小平市)

 私の2歳の息子は重度障害の「寝たきり」で、車いすの外出をとても難しく感じることがあります。
 まず、JRの駅にはほとんどエレベーターがありません。新生児がそのまま大きくなり、身長1b、体重は11`あり、自分からは抱きついてくれません。両手で横抱きにするしかないのです。エレベーターのある遠くの駅までタクシーで行く方もいます。
 また、障害者用駐車スペースは乗降しやすいように広くスペースがとられていますが、そこに駐車してしまう健常者もいます。
 運命でしょうが、自分の家族が障害を持つ可能性は誰にでもあるのです。
 誰でも自由に道を歩き、電車、バスに乗れ、いつでもどこへでも出かけられる社会を作りたいのです。
 障害・難病児の親の集まりでは、いつも話していることですが、一般の方にも知っていただきたく投稿しました。

『多くのものくれた老愛犬は逝った』
    フリーライター 小川 由里 53(埼玉県行田市)

 振りしぼるように呼ぶ声がした。駆けつけると寝そべったまま、私を見上げた。呼吸がゆっくりとなっている。何万回となでた頭を、何万回となくなでた体をゆっくりとさする私の手の下で、愛犬は静かに息を止めた。雑種15歳。人間でいうと約80歳、老衰だった。
 歯が残り少なくなり、1年前から耳が聞こえなくなった。3週間前からほとんど眠っているようになり、便の出が悪くなり、食欲が落ちた。
 死ぬ3日前からは、たまに水を飲むだけになり大好きな散歩も数分でUターンした。人間の老いて、弱っていく姿を縮尺して見せてくれた。
 アニマルセラピーといって動物とのふれあいや交流がもたらす精神の落ち着きや、やすらぎが老人ホームなどで注目されている。その通りである。犬との会話は私を穏やかにしてくれた。朝夕の散歩で多くの知り合いを得た。たくさんのものをくれて、愛犬は逝った。

『通学バスで出会った悲しい出来事』
       高校生 須貝  円 17(東京都葛飾区)

 ある朝、私は通学のバスの中でとても悲しい光景を目にしました。
 その日のバスはいつにも増して込んでいました。バスが大きく揺れ、降り口付近に立っていたおばあさんが倒れそうになりました。
 隣の女性がおばあさんを支えてあげました。次の瞬間、おばあさんはとても嫌そうに女性の手を振り払ったのです。
 きっと、おばあさんは他人の親切を素直にうけとることができなくなるような、つらい経験をされたことがあったのだろう。そういうおばあさんの気持ちを思って私も少し悲しくなりました。
 同時に「ありがとう」を言えるということはとても幸せなことだと気がつきました。もしあのおばあさんにそれができたなら、おばあさんも、あの女性も、そばで見ていた私でさえ優しい気持ちで一日を始められたのに……。
 バスを降りた後も悲しい気分のまま学校に行きました。


『曽野綾子さんの予感は外れるかも』
       雑貨職人 加藤 典男 60(東京都杉並区)

 東京・高円寺で、「ハート・トウ・アート」がこのほど開催された。モノづくりをする人々が自分の作品を展示即売する一種のフリーマーケットである。十数人のボランティアが懸命に動き回ってやっと成立したイベントだ。
 定年を迎え、自称「時給200円の雑貨職人」をしている私は、地域活動や若者たちと交流したい、と参加した。
 過日、本紙「時代の風」で曽野綾子氏の「日本滅亡の予感がする」を読み、いたく共感したが、このイベントの若者たちを見て、もしかしたら、曽野氏の予感が外れるかもしれないと思った。
 そこには、平日の朝から、パチンコ屋の前で、しゃがみ込み、開店を待つ無表情で暗い若者とは全く違う人々がいた。
 モノをつくることを心から楽しみ、せいぜい数百円の品物を買ってくれたお客に、精いっぱいの「ありがとうございます」を元気良く言う若者たちである。



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