読売新聞−2000年(平成12年)10月17日(火)

「呼吸器」への偏見なくしたい
 装着の難病患者ら

12月 国際会議でスピーチへ 「生き生きと暮らす私達の姿を見て」

 全身の筋肉が動かなくなる難病ALS(筋委縮性側索硬化症)の患者3人が、12月にデンマークで開かれる国際会議に、人工呼吸器を着け日本から初参加する。海外では、ALS患者が人工呼吸器を装着して長期療養するケースは多くないと言われ、3人は「社会や家族に支えられて暮らす私たちの姿を見てもらい、世界中の患者たちに勇気を与えたい」と意気込んでいる。

 東京・練馬区の橋本みさおさん(47)は15年前、腕に力が入らないのに気づきALSと診断された。当時、一人娘は5歳。「ほかのお母さんのようには一緒にいられないかも」と告げ、泣かれた記憶がある。
 病状は次第に進行し、やがて寝たきりに。今では、まぶたがわずかに動くだけだ。
 でも、橋本さんはホームヘルパーなどに支えられ、テレビ観賞も読書もする。まばたきで、夫の会社員誠さん(49)らとの会車いすを押され、総選挙の不在者投票に来た橋本さん。選管職員から候補者の名前などを指してもらい、まばたきで答えた。話も楽しむ。6月の総選挙では車いすを押してもらって投票にも行った。
 「体は動かなくても、いろんなことができる。毎日を楽しんでます」と橋本さん。
 呼吸するための筋肉もまひし、8年前にのどに穴を開け人工呼吸器を着けたが、実はその際、ずいぶん悩んだ。
 切開したのどにはどうしても痰がたまる。それを多い時は2〜3分おきに吸い取らないと窒息してしまう。自宅で暮らし続けるなら、昼夜、その役目を引き受ける人が必要になるからだ。
 幸い福祉制度などでヘルパーを毎日24時間確保でき、夫の誠さんら家族も全面協力してくれた。

 そんな中、今年初め、ある新聞記事にショックを受けた。オランダの神経難病協会会長が「呼吸器を着けて生き続けることは神の意思に反する」と語っていたからだ。
 林秀明・東京都立神経病院副院長によると、例えばイギリスではごく最近までALS患者は人工呼吸器や経管栄養を使わず、ホスピスで最後を迎える人が多かったという。
 文化の違いはあるだろう。「でも、人工呼吸器を着け生き生き暮らす私たちの姿を見てほしい」。橋本さんは12月初めデンマークで開かれるALS/MND(運動神経疾患)国際同盟の第8回国際会議に参加することを決意。スピーチをすることになった。

 また、やはり人工呼吸器を着けたALS患者の山口進一さん(62)(福岡県宗像市)、熊谷寿美さん(50)(兵庫県尼崎市)も一緒に参加する。人工呼吸器を装着した患者の同会議出席は初めてという。
 日本ALS協会(東京)事務局長の熊本雄治さんは「人工呼吸器を拒み死を選ぶ背景には、支援体制が不十分という事情もある。人工呼吸器の是非だけでなく、そうした課題も議論を」と話している。

 デンマークヘは医師やボランティアらも同行し渡航費がかなり膨らむため、橋本さんらは財政的支援も求めている。問い合わせは同協会(03・3267・6942)へ。

 

★いっぽのコメント★
 ALS(筋委縮性側索硬化症)は、それまで健康だった働き盛りの人が突然見舞われる難病です。
筋力が次第に落ち、やがては寝たきりになり、最後は呼吸器系まで侵されるため人工呼吸器に頼らざるを得なくなる。しかし、そのためには“声”を失うのと切開した喉に溜まった“痰”を吸い取らなければならないために、家族や周囲の人達に負担が掛かるからだ。
 予兆がなく突然襲われ、子供は小さく、回復の見込みがない。これだけでも絶望的なのに、生きていく上でも負担が掛かりすぎる。これは、家族や周囲の人達の努力だけでは到底負担しきれないものだ。
 社会的な支援や保護を早急に充実し、精神的にも社会的にも支えられるようにしていきたいものだ。

2000年10月のニュースのindexページに戻る