毎日新聞−2000年(平成12年)10月17日(火)

記者の目 

公害は終わっていない 今松 英悦(論説委員)

先進国の責任は重い

 日本で公害問題といえば「もう終わったこと。いまや地球環境問題こそが最大の課題」と言い返されそうだ。本当にそうだろうか。西淀川(大阪市)、川崎の自動車公害裁判では和解が成立したものの、主要道路沿線の大気汚染はさほど改善していない。水俣病も大阪訴訟関係者を除いてチッソとの和解が成立したとはいえ、それで患者の状況が良くなったわけではない。私は地球環境問題というが、公害問題は過去のことではないと前々から考えていた。最近、インドのボパールを訪ね、改めて確信した。

 ボパールはデリーの東約700`に位置している。1984年12月2日深夜、米国の大手化学会社、ユニオンカーバイド(UCC)の工場爆発で猛毒の農薬原料が飛散した。

 UCCの工場は69年に建設された。当時、殺虫剤の中間原料であるメチルイソシアネート(MIC)の生産設備が拡張されていた。この猛毒物質に水が混入したことで爆発が起きた。折からの北、北西の風に乗って、MICは人口密集地帯の上を覆い、朝までに1000人以上が死亡したという。最初の1週間での死亡者は2500人に達した。被害者団体によると、現在でも後遺症により毎月10〜15人が死亡しているという。健康被害を受けた人も多く、事故によって多くの人が仕事を失った。

 事故から16年近く経過したが、工場跡地には化学物質4000dが残されており、処理のめどは立っていない。被害者の救済も遅れている。UCCはインド政府に補償金を一括して支払ったが、手続きが煩雑なことなどから、補償金を受け取ることのできない被害者も少なくないという。

 公害企業も政府も責任をとろうとしない構図は高度成長期の日本とそっくりである。

 ボパール事故は多国籍企業の犯罪でもあった。60年代から活発化した多国籍企業の途上国への進出は、当初、安い労賃が理由だった。その後、先進国で環境規制が強化されるなか、途上国の公害規制や労働安全規制が緩やかなことも生産拠点の移転を促進した。当然、公害対策や安全対策は抑えられた。

 高度成長が頂点に達した60年代後半から70年代初期の日本は「公害大国」そのものであった。企業は公害対策に後ろ向きだったが、全国で住民運動が高まったこともあり、公害基本法が制定され、環境庁が設立された。確かに、70年代には公害対策がかなり進んだ。汚染企業と国が出資して、公害病認定患者に補償金を支払う公害健康被害補償法もできた。

 ただ、それで公害が根絶されたり、環境が目に見えて良くなったかというと、そうではない。自動車公害がいい例だ。排ガス規制が実施されても、保有台数が大幅に増加すれば、大気の汚れはひどくなる。そして、自動車公害訴訟が提起された。この状況は基本的には現在も変わっていない。

 自動車の排ガスには二酸化炭素、二酸化窒素、二酸化硫黄などが含まれるほか、ディーゼル車からは浮遊粒子状物質(SPM)も排出される。二酸化炭素はいうまでもなく、地球温暖化ガスである。二酸化窒素や二酸化硫黄は呼吸器系疾患を引き起こすといわれている。とくにSPMは、肺がんとの因果関係も疑われている。

 こういったことの多くは、80年代にはほぼ分かっていた。それにもかかわらず、自動車の排ガス対策は後手に回ってきた。98年の川崎公害訴訟でSPMと呼吸器系疾患との因果関係を認めたのに続き、今年1月の尼崎公害訴訟では、汚染が環境墓準を超えた際のディーゼル車の通行差し止めを認めた。長い道程であった。

 この問、急膨張している途上国の大都市では自動車交通の爆発的な増加で、大気汚染は急速に悪化している。バンコクやニューデリーがいい例だ。先進国が早めに抜本的な自動車公害対策を講じていれば、途上国の事態悪化を少しは食い止めることもできただろう。

 熱帯林乱伐はもっと分かりやすい。先進国での建築材需要増加が最大の要因である。日本国内の豊富な森林が管理されず、荒廃していく一方で、東南アジアでは最も多様な種を抱える熱帯林が次々に伐採されている。また、日本人の好きなエビ養殖や、環境にやさしいと需要の伸びているヤシ油を採取する油ヤシ栽培でも、熱帯林は伐採されてきた。熱帯林の消滅は気候の乾燥化を招き、砂漠化にもつながる。ひいては、地球温暖化とも関係する。

 地球温暖化、砂漠化、酸性雨、有害物質の移動禁止などいずれも、地球的規模で取り組まなければならない。しかし、身近なところで公害はまだ終わっていないことを認識しなければならない。そこが原点ではないだろうか。

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