毎日新聞−2000年(平成12年)10月17日(火)

新聞時評

可能性を感じたオリンピック記事


 新聞を開くとき、いつもなら、まず1面をすみずみまで見る。社会の動きを大まかに捕まえる感じがある。2面、3面は見出し中心の読みだ。関心があるところだけ拾い読む。社説は、はっきり出てくる意見と対話する感じで、楽しく読む。それから、興味のある記事へとページをめくる。

 そして、たいていのとき、スポーツ面はとばしてきた。野球か相撲かサッカー……が、紙面を独占しているような思い込みがあって、興味がわかなかった。男たちのためのもの、そんな感じがあったのだ。

 オリンピックが開催されて、スポーツ記事が、いわゆるスポーツ面に収まりきれず、いや、いつものスポーツ面での扱いを越えるものがあって、選手が、試合の様子が、観客が、地球のさまざまな問題が、他の紙面にまではみだして報じられた。いいかえれば、オリンピック開催中は、新聞が枠を越えた自由な紙面作りをしたのだと思う。

 面白かった。私は、スポーツ面の可能性を感じた。

人間・田村を報じる

 毎日新聞のスポーツ面は「スポーツ 人間ドラマ」というタイトルを持っている。たぶん、競技の結果だけでなく、スポーツを通して、人間の内に潜むものも現れたものも、双方を捕らえて、生きた人間を報じたいのだろう。

 「『五輪の天使』舞い降りた」(9月17日朝刊1面)の署名記事には、メダリストがたどった日々を想像しうる言葉がちりばめられていた。「山下秦裕監督が試したことがある。『五輪に魔物がすんでいるのなら、天使もいる。アトランタでは田村が魔物にやられて(略)』」。シドニーに臨む田村は「最高で金メダル、最低でも金メダル」と口癖のように言っていたけれど、魔物さえ恐れて、姿を現すことの出来ない実力を見せるために、田村はいかなる鍛錬と努力の日々を送ったのか。「3度目の五輪でついにたどりついた真の頂点。田村は『初恋の金メダルです』と涙声で言った」とペンは結んで、勝ち負けとは別な、人間の姿に思いをはせることの出来る記事にした。

 紙面づくりからいえば、開会式を伝える写真で、その試みは、行われた。16日朝刊1面と最終面の見開きを同じ面として扱うダイナミックな使い方だ。たしかな手応えで、見開き効果を発揮したのは、高橋尚子のゴールの瞬間を映し出した写真だ。ほとんどの読者は前日に、このレースの結果を知っている。その思いを抱き込んでの紙面作りだった。「分量」が「思い」まで表現することを、大胆な構成が、改めて示した。

楽しめた記者座談会

 オリンピックが終わった10月3日朝刊で、シドニー支局から届いた「記者座談会」を読んだ。熱戦を伝えた記者が、肌で感じたさまざまなことを、生の声で語る体裁で伝えてきた。井戸端会議のような感じがして、読者も気軽に参加する思いで読めた。記者の息づかいが聞こえるこんな紙面も、視点が変わって面白い。

 スポーツ面は、平常に戻った。野球と相撲とサッカーと……、男たちの世界が展開されている。あんなにバラエティーに富んだ競技、輝いた女たちは、どこに行ったのだろう。人間ドラマを読みたい。

 枠にとらわれないオリンピックの記事を見慣れたせいか、9月13日掲載の第73回選抜高校野球の開催を報じる記事が、いかにも硬かったのを思い出した。その魅力は、若いエネルギー、躍動する肢体、まっすくぶつかっていく情熱にある。それにしては、記事に付された写真は、1面、スポーツ面とも整然としすぎてはいないか。特に、大人が会議をしている写真が気になる。高校野球は球児が主役の大会だと思うのだが。
                                                        童話作家  今関 信子

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