毎日新聞−2000年(平成12年)10月17日(火)

感動再び 2000 シドニー・パラリンピック●6●

追いかけた兄の足音−陸上・矢野繁樹選手

 直線は10b先にかすかに見えるラインが頼り。カーブでは数を数えながら体の向きを変え、ライバルたちの足音を追いかける。視覚障害者のトラック競技。全盲の場合は伴走者が必要だが、それ以外はかすかな光と練習で培った勘でトラックを駆け抜ける。

 1996年のアトランタ大会・陸上二百b。矢野繁樹さん(24)は兄陽輔さん(26)と一緒に出場した。2人は15年前、時期をほぼ同じくして視力障害に。中学に入った兄は「障害に負けたくない」と陸上を始めた。弟も続いた。「兄弟そろっての障害はショックだった。でも、2人で真剣に陸上に取り組む姿をみて心がなごんだ」。松山市で保険代理店を営む父、俊三さん

「失敗しちゃった」。スタート練習でおどけてみせる矢野選手。表情は明るい=東京・八王子市の上柚木運動公園で
「失敗しちゃった」。スタート練習でおどけてみせる矢野選手。
表情は明るい=東京・八王子市の上柚木運動公園で

(49)はそう振り返る。

 「兄を追い越す」を目標に走り始めた弟のアトランタの成槙は23秒22で5位。兄には勝ったが、メダルに届かなかった。兄

はその後、引退してしんきゅう師に。弟もこの3月、筑波大付属理療科を卒業し、しんきゅう師の資格を取った。しかし、就職すると練習の時間がとれない。「シドニーにかけたい」。都内のしんきゅう院でアルバイトしながら陸上に専念すると、父親に宣言した。

 現在、繁樹さんの左目の視力はなく、右目も10b先がぼんやりと把握できるだけ。進行性の「網膜色素変性症」でやがては伴走者が必要となる。今回のバラリンピックが独力で走る最後の大会になる可能性が強い。父は並々ならぬ息子の決意を感じて「好きなように頑張れ」とだけ答えた。

 9月に入ると連日のように都内の陸上競技場で汗を流した。スタートを納得のいくまで繰り返し、4、5時間走り込む。シドニーでは200bに加え、100b、400bリレーにも出場する。リレーではアンカーだ。



 かつて陸上選手だった父親は分析する。「兄は努力家で後半追い込み型。弟は要領がいい子で、スタートが得意だ」。弟はこの4年間、故郷・松山の兄と頻繁に連絡を取り、自分の弱点である後半の追い込みの秘策を授かった。

 「兄がいたから頑張れた。メダルが取れたらまず兄に伝えたい」。ライバルだった兄のアドバイスを受けながら、メダル目指して2人分のリペンジにかける。 =おわり

(この企画は河鴨浩司が担当しました)

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