読売新聞−2000年(平成12年)10月16日(月)

社説

        経済の主役   世紀を超えて 

意気と責任ある「個」よ、前へ

裸の実力が試される日本経済

 愛知県長久手町のトヨタ博物館。見学コースを外れた一室にその車は眠っていた。
 試作だけで市販はされなかった「2000GT・コンバーチブル」。映画「007は二度死ぬ」(1967年)でショーン・コネリー、浜美枝のご両人と共演した″ボンドカー″と言えば思い出す人もいるだろう。
 歴代、国際水準にかなう車がボンドカーの栄誉を射止めてきた例に照らせば、トヨタ自動車はこの年、「一級」のお墨付きを手にしたことになる。
 だが時計の針を20年ほど巻き戻すと、別の風景が見えてくる。終戦後の不況の底でトヨタは倒産の淵にあえいでいた。
 豊田家の総領・章一郎氏(現名誉会長)が、車で食えないならカマボコ製造で従業員を養おうと、北海道稚内市まで下調べに出かけたのはそのころである。
 「カマボコ」と「ボンドカー」を結ぶ接点の一つに、50年に始まった朝鮮戦争がある。戦争の悲劇の裏側で、特需が倒産寸前のトヨタを救った。諸外国の目に奇跡と映った日本の復興を、トヨタの20年が象徴している。
 重工業化に道をつけた日露戦争。財閥が基礎を固めた欧州戦争。護送船団の型を作った先の大戦。西側陣営の復興の模範生を演じ、成長に専念できた冷戦−経済繁栄の基礎が勤勉な国民性や高い教育水準にあったことはもちろんだが、繁栄の端緒は戦争の時期と重なりあっている。
 冷戦が終わった世紀末のいま、日本経済は裸のままの実力を試されている。

円高、ITという2つの革命

 「日本経済には本当の終戦がなかった」という指摘がある。いわゆる「1940年体制」を指しての評である。
 この年の前後何年かの間に、日本は戦争の遂行に必要な経済の仕組みを、矢継ぎばやに整えた。国家総動員法、配給統制法、賃金統制令、食糧管理理法……。
 これら戦時統制の多くは、終戦で解除されたが、石油業法に代表される産業別の事業法のように、戦後を生き延びた法令・制度も少なくない。落ちこぼれを出さないよう金融機関を規制でしばりつけた大蔵省の護送船団行政などは、その名残である。
 米欧に追いつくという目標が明確だった時期、調和優先の仕組みは有効に働いた。互いの競争はほどほどに、全員一丸、目標に突き進んだやり方が、高度成長に果たした役割は小さくない。
 その戦後復興の功労者、40年体制に退場を迫ったのは円高とIT(情報技術)の″二つの革命″である。
 円高は国民の賃金水準を国際比較で押し上げた。賃金が低いうちは、船来の品をまねて作れば同じ物が安く出来たが、高賃金になると、それは通らない。
 物まねと違う独創的な発想、技術は横並びに慣れた企業の手からは生まれにくい。いま国をあげて「ベンチャーよ、いでよ」と声をからす理由もここにある。
 ITがこの流れを後押しする。
 これまではメーカーが「こういう商品を作った、だれか買わないか」と消費者に呼びかけた。ネット時代には消費者が「こういう品が欲しい、だれか作らないか」と呼びかける。声の矢印は逆を向いた。
 多様な注文を丁寧に聞く小回りの良さと技術力があれば、店舗網を持たない中小企業にも勝機は生まれる。「横並び」も「護送船団」も意味をなさない世界が、ネットの向こう側に広がりつつある。

大企業も生き残る保証はない

 はつらつとした「個」を目指すのは何もベンチャー企業に限らない。
 日本興業、第一勧業、富士という日本を代表する銀行が先月末、持ち株会社の下に経営を統合した。
 どの銀行にとっても、少し前にはあり得なかった選択である。大蔵省の膝下、保護されるまま身を任せていれば、経営は無事安泰に成り立ったからだ。
 護送船団なき後にどう生き残るかを懸命に模索した結果という意味では、総資産130兆円を優に超す世界一の金融グループを誕生させた巨大再編もまた、「個」に変身する一過程だったといえるだろう。
 興銀が主力銀行として経営の後ろ盾になってきた日産自動車は、仏ルノーグループの傘下に入ることで、生き残りを目指す道を選んだ。官の束ねから銀行が離れ、銀行の束ねから企業が離れる。二重、三重に張られた、もたれ合いの糸が、ひとつずつ解かれようとしている。
 一方には、大手百貨店そごうのように、ワンマン経営者が拡大路線を暴走し、国からも銀行から救いの手が得られぬまま、法的処理に追い込まれた企業もある。
 企業であれ、個人であれ、自由であることの責任の自覚が、「個」として自立する必須要件であるのは言うまでもない。

「犬の年」でやって来る未来

 「経済はヒューマンイヤー(人間の年)ではなく、ドッグイヤー(犬の年)で進むようになった」と言われる。
 一般に犬が人間の七倍ほどのスピードで成長する点をとらえ、昔の何年か分の出来事が一年の間に集中して起きるようになった昨今の激動ぶりを表した言葉だ。
 トヨタに象徴される戦後の日本経済が成長に要した20年の歳月は、今なら21世紀初めの2、3年に縮めることが可能に違いない。逆に無為に過ごせば、1年の遅れは数年分の停滞をもたらすだろう。
 希望と危機感と、その2つが要る。

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