読売新聞−2000年(平成12年)10月16日(月)

挑む シドニーパラリンピックD

選手と一体感あってこそ 介護者としての献身も求められる指導者

 「はい、はい、はい、はい……」。拡声器から聞こえてくる声に耳を澄まし、アイマスクをした選手が見えないゴールへと走る。
 7月末。視覚障害の選手を音や声で誘導する「コーラー」の研修会が、福島市内で開かれた。
 企画したのは地元の会社員数又幸市さん(34)。10年前、交通事故で車いす生活に。大学時代に打ち込んだ陸上の夢を追いかけ、障害者スポーツにかかわっていくうち、地方での指導者不足を痛感した。
 「普及のためには教える側のすそ野を広げなければ」。全国でも初めての「コーラー」の研修会を開いたのはそんな思いからだった。

足が不自由な選手を抱きかかえる桜井さん
足が不自由な選手を抱きかかえる桜井さん

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 炎天下のグラウンドで、講師のパラリンピック陸上コーチの藤田勝敏さん(33)は、「真っ暗なコースを全速力で走る恐怖を取り除くのがコーラーの役目」と説いた。
 手の音や声の聞こえ方は、風向きや競技場の構造で徹妙に違う。植え込みが音を吸収してしまうこともある。タイミングが少しずれると取り返しがつかない。競技場で立つ位置を何度も変えながら、選手との呼吸をつかんでいく。
 藤田さんは以前、選手が漏らした「自信のない音や声には踏み出せない」という言葉を胸に刻んでいる。2人で競技をやっているという一体感が強く求められるのが障害者スポーツなのだと思う。

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 パラリンピック水泳コーチの桜井誠一さん(50)は13日、関西空港からシドニーに出発した。
 前回のアトランタ大会では監督として選手7人を率いた。コーチは1人しかいなかった。段差があれば車いすを持ち上げ、視覚障害の選手をトイレに案内し、症状が重い人は抱きかかえてプールに入れた。「障害者スポーツの指導者は介助者でもあるんです」。肩や腰が張り、帰国した時は5`もやせていた。
 桜井さんの本業は神戸市の広報相談部長だ。市の身障者水泳教室の流れをくむ「神戸楽泳会」で教えている。阪神大震災でプールがふろ場に替わり、練習できない時もあったが、「水泳好き」の仲間を増やしてきた。
 教え子に、ポリオで両足が不自由になったバラリンピック代表の藤田多佳子選手(42)がいる。学校のプールは「水につかるだけ」だった藤田選手は、この水泳教室で息継ぎができるようになるまで六年もかかった。桜井さんはこう話す。「『スポーツなんて』とあきらめていた障害者が、病気や後遼症と闘ってチャレンジしているのに、指導者が音を上げたら終わりです」
 障害のある選手。支える人たち。それぞれの挑戦の軌跡の向こうに、シドニーの晴れ舞台が待っている。    (おわり)

この連載は、大阪社会部・足達新、社会部・浜谷真美、
運動部・三宅宏、地方部・菊池嘉晃が担当しました。

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