毎日新聞−2000年(平成12年)10月16日(月)

「告知」にゆれる家族

周囲の理解が選択肢広げる    野本みどり(北海道報道部)

 小児がんは「不治の病」というイメージが強い。その病名をわが子に告げることは、親にとって身を切られるような思いだろう。がんの告知は大人でも精神的なショックが大きい。まして子供の身で−。しかし、治療の進歩で患者の7〜8割が治るようになり、本人に告知をする病院が増えている。小児がんへの理解を広めるためにも、告知の問題を考えてみたい。

 告知が増えているのは、つらい治療に立ち向かう覚悟が患者にできるからだ。札幌市の主婦、栄子さん(41)=仮名=は長男の中学1年、健太君(13)=同=が検査入院する来年冬に、家族全員で主治医から告知を受けようと思っている。
 健太君は2歳半だった1989年11月、悪性腫瘍の「ウィルムス腫瘍」を発病した。がんに右の腎臓を侵されたが、2年後に治療が無事終わり、現在は年1回の検査以外、普通の生活をしている。
 スポーツが好きで、小学校に入学してすぐ少林寺拳法を始め、5年生から入った少年野球団ではキャプテンを務めた。中学では野球部に所属し、練習に明け暮れる毎日だ。
 治療の影響で退院直後は髪の毛が薄く、腹郡には今も長さ約30aの手術跡が残っている。ある時、テレビドラマで、がんの患者の髪がないのを見て、健太君は「おれと一緒」と話した。
 ウィルムス腫瘍という病名は本人に教えてあり、学校の健康カードにも記入してある。「うすうす気付いているかもしれない」と栄子さんは思う。健太君が告知を受け入れ、今後も病気に立ち向かってくれることが願いだ。

 一方で、告知を拒否する親は多い。がんが再発した場合、子供が治療に後ろ向きになる心配がある。実際、私が取材で会った患者のお母さんたちは、ほとんどが告知していなかった。その気持ちも分かる。
 告知を受けて病気が治っても、本人が周囲の偏見や無理解に苦しむケースが少なくない。元患者の男性(29)は「親にとっては完治が病気の終わりだが、子供にとっては治った後が問題」と話す。

 東京や九州、名古屋には、告知を受けた患者の「当事者の会」が設立されている。患者同士が病気の悩みを語り合うだけでなく、自分の闘病経験を話すことで社会に働きかけ、問題を解決しようというグループだ。大阪や新潟でも設立の動きがあるが、北海道ではなかなか進まない。「告知がほかの地域より進んでいない。当事者の会の存在が知られておらず、悩みを話して気持ちが楽になることを患者が知らない」。市立札幌病院の小児科医、水島正人さん(33)は道内で当事の会設立が進まない理由をこう説明する。
 水島さんは22年前、悪性リンパ腫を発症した。現在は小児がんを経験した医者として「がんの子どもを守る北海道支部」で患者の家族から頼りにされている。

 小児がんの発症率は毎年、15歳未満の子供1万人に1人、生まれた子供666人のうち1人の割合だ。小学校なら1校に1人か2人。患者の少なさが、理解が進まないことにつながっている。
 しかし、患者や元患者、家族にとって周囲の支えが欠かせない。健太君への告知を考えている栄子さんも「周囲のお母さんたちが根掘り葉掘り聞かないでいてくれたし、友達も健太と普通に遊んでくれた」と振り返る。告知の前提として、小児がんへの偏見を取り除かなければならない。
 今月22日、札幌市南区の真駒内屋内競技場で、「生きる−小児がんなど病気の子供たちとともに」のチャリティーコンサートが開催される。この機会を通じ、小児がんへの理解が進むことを強く願いたい。

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