読売新聞−2000年(平成12年)10月11日(水)

シドニー バラリンピック @
汗と涙 生きる喜び 躍動

【車いすで全速力 めっちゃしんどい】

 車輪がきしむ。選手がコートに転倒する。シドニー五輪でマラソンの高橋尚子選手(28)の金メダルに沸いた9月24日朝、大阪市内では、もう1つの熱戦が繰り広げられていた。
 健常者と障害者の混合チームによる重いすバスケットの全国大会。大会会長を努めたのは、ロック歌手の桑名正博さん(47)だ。
 シドニーパラリンピックのバスケット総監督の高橋明さん(48)の紹介で3年前に初めて体験した。リハビリのイメージしかなかったが、やってみると難しい。全速力で車いすを走らせてドリブル。急ターンしてパス。奥深い。「これはおもろい」
 インターネットで仲間を募り、チームを結成した。
 大会には6チームが参加した。九州からはパラリンピックの日本女子代表がやってきた。この夏始めたばかりという会社員もいた。桑名さんの息子の中学一年の錬君(12)の姿もあった。最年長の桑名さんは「めっちゃ、しんどい」と肩で息をしながら話した。

 「レベルや目指すものは違っても、障害があってもなくても、みんなが同じ目線で競技ができる。そんな実感があるね」

 障害者スポーツをまず見て欲しい、知って欲しい。それが健常者と障害者の垣根がなくなるきっかけになる。桑名さんはそう思う。

 何かと問題行動の多い(?)桑名さんですが、この新聞を見た時には少し見直してしまいました。車椅子を扱うことがどれだけ大変であるかを知っているからです。それを、インターネットを通じて仲間を募り、チームを結成し、大会まで開催してしまったなんて……。それに息子さんも関わらせているなんて、意外とちゃんとした“大人(=親)”の部分もあったんですね(なんて失礼な言い方ですね。失礼致しました)。
 初めての人なら、10分もこいでいたら手のひらの皮が剥けてしまうでしょう。私も何度も皮を剥きながら練習したものです。“障害”や車いすを知ることは、それを必要している人達の目線や生活や私達が普段築かない社会の問題点を知ることが出来、自分の人生の中でこの経験が必要となる(=役に立つ)日が必ず来ます(私も何度も体験しました)。
 人は、一生の中で、何度も他の人のお世話にならなければならない時があります。それを、いくら強がっても、いくら「そんなことは嫌だ!」と言ったところで避けることは出来ません。桑名さんが言うように、「健常者と障害者(という対比的な使い方は好きではありませんが)の垣根がなくなる」ことは、どちらにとっても“幸せ”な社会なのだと思います。

プールの水 重たい心軽くする

 障害者にとっても、スポーツの出会いが転機となる。

 9月17日、福岡市で開かれた日本身障者水泳選手権。兵庫県伊丹市の古結(コゲツ)芳子さん(53)は今年もやってきた。
 18年前、全身の筋力が衰える「膠原病」になった。治療薬の副作用で股関節の骨が崩れた。夫と2人の子供に励まされての闘病生活。もう前のようには動けない。死を考え、病室の窓際に立ったこともあった。しかし、窓を開ける力さえ残っていなかった。
 気持ちと体が落ち着いた後、体力づくりにと水泳を始めた。ビート板を使って夢中で練習した。25b泳げた時は涙と水とで顔がぐしゃぐしゃになった。各地で開かれる大会出場を心の張りにした。
 日本選手権はもう9度目。バラリンピック代表に交じって50b平泳ぎに出た古結さんは、わずかしか力の入らない足で水をけり、沈みそうになりながらゴールを目指した。

 「水の中に入ることで、重たい心が軽くなるんです。障害を負ったからあかんではなく、目標を作り、勇気をふりしぼって挑戦することが大切と思うんです」

 泳ぎ終えて、「生きている実感」が体中にみなぎった。「今年は打ち止め。また来年」。明るく言った。

 私も水泳をしていて一番感じることは、水の中にいることで心がとても軽くなることです。まだこの世に誕生する前の、まるで母の胎内の羊水の中にいるかのような安心感。耳元で水が奏でるコボコボコボという音が、私には一番の癒し系のミュージックのようです。
 競技としてスポーツを楽しむ人もいるでしょう。又、自分の楽しむためにスポーツをしている人も大勢いらっしゃるはずです。身体にハンディを持つ人にはスポーツは体力を高めるために有効であると同時に、リハビリにもなり、生きる希望ともなりえます。そうした人達にも、そうした場や機会がもっともっと増えることを期待します。

 五輪と同じシドニーを舞台に18日から開かれるパラリンピック。ハンディをものともしないアスリートたちとその周辺を迫った。

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