毎日新聞−2000年(平成12年)10月11日(水)>

★ 感 動 再 び ★
2000 シドニー パラリンピック●1●
妻と作った『秘密兵器』 アーチェリー・南浩一選手

 道を開いたのは「裸足の英雌」だった。1960年のローマ五輪マラソンを素足で走って優勝し、4年後の東京五輪で運覇を果たしたエチオピアのアベベ・ビキラ選手。69年に自動車事故に遭ったが、その4カ月後、イギリスであった障害者のスポーツ大会に車いすに乗ってアーチェリー選手として登場。再び、世界を驚かせた。 

夫婦で制作した右手の補助具でメダルを狙う南選手
夫婦で製作した右手の補助具でメダルを狙う南選手
=埼玉県所沢市の国立身障者リハビリセンターで、石井諭写す

 南浩一さん(44)はかつてアルバイトをしながら、ハンググライダーに青春をかけていた。85年には全国大会で優勝。ところが翌年、墜落事故で首の骨を折って半身不随に。リハビリで手首までは動くようになったが、車いすの生活。再び自由に大空を舞うことは無い。そんな失意のどん底で見たアベベ選手の記録映画。スクリーンの上でアベベ選手は、針金で弦をひっかけ、アーチェリーに挑んでいた。「これだ!」。新たな挑戦が始まった。
 じっと静止して70b先の的を射る。学生時代からやっていた射撃と同じ緊張感。そして何よりも「ハンググライダーのように風を読み、自然と一体となっていると実感できるのが魅力です」と南さん。
 その南さんのほとんど筋肉のない右手の先には妻美伸(ミノブ)さん(39)と共同製作した秘密兵器が光る。動かない指先を補う補助具だ。埼玉県所沢市の自宅で旋盤などを駆使して数え切れないほど試作した。先端で矢と弦をはさみ、手首の動きでスイッチを作動させて矢を放つ。趣味の無線操縦ヘリコプター製作の技術が生きた。
 めきめきと力をつけてバルセロナで金、アトランタで銅と2大会連続でメダルを獲得した。そして今回。アーチェリーは新たに軽度の障害でも参加が認められるようになった。出場選手18人中、車いす利用者は南選手を含め3人。あとは立ったまま自分の指で弦を引ける選手だ。矢を放った反動に耐えられず、ベルトで体を支える南さんにとっては手ごわい相手ばかり。さらに風が強い競技場が追い打ちをかける。弦を引く力が弱い南さんの矢は風の影響を受けやすいのだ。
 でも「相手がどんな人でも負けないよ。自分との闘いだから」。介助者として参加する美伸さんと秘密兵器があれば怖いものはない。あとは「風よ、吹くな」と祈るばかりだ。

   

 シドニー・パラリンピックが18日、開幕する。障害者が参加する「もう一つのオリンピック」。日本からは過去最高の151人の選手が参加する。さまざまな障害に立ち向かい、競技スポーツに打ち込む選手たちの姿を紹介する。

 幼い頃より、私の周りには“障害者”がいた。彼等は現状に甘んじることなく、常に前を向き、挑戦し続ける人達だった。そんな彼等を見て育った私は幸せ者だと思う。人間の“可能性”をまざまざと見せて貰えたのだから。
 「人間は道具を使う動物である」と言われる。世界のトップクラスにある科学工業技術も一歩間違えば人類滅亡の道具を創り出してしまう怖さがある。しかし、“道具”には意志がない。それを使う人の意志が、その“道具”を凶器にも利器にもしてしまうことを肝に銘じたい。そして、自分を生かす“道具”を個人で生み出すことは大変な努力だと思う。努力が報われることを祈っている。 

2000年10月のニュースindexページに戻る