読売新聞−2000年(平成12年)10月09日(祝)

ホップ ステップ 健康

子供たちには自然が必要

 小児科医である私が言うのも妙かもしれないが、子供の健やかな成長を考えた時に、医療が果たす役割は限られている。衣食住や精神的なものを含めて、良好な環境でのびのびと育つことが、何より大切だ。そういう面で、スウェ−デンの子供たちの方が、日本の子供たちよりも恵まれている気がしてならない。

 スウェーデンでは、保育園でも自然とのふれあいを大事にしている。日本では駅前保育園というのが流行になっているが、そのような立地条件で、どうやって子供が自然に接することができるのか? スウェーデンの人は、きっと仰天するだろう。
 この国では、自然保護が社会の基本的な合意となっている。首都ストックホルム市内でも、手つかずに近い自然がたくさん残され、子供たちの良い遊び場になっている。この国の人たちが心から自然を愛している表れで、子供たちもその恩恵にあずかっている。

 日本を振り返ってみると、特に都市部で、子供の遊び場となるような自然の残った場所がきわめて少ない。経済効率ばかりが優先されて、子供の遊び場を守ることの大切さが見落とされてきたように思う。スウェーデンの子供たちが森の中や湖の岸辺ではしゃぎ回る姿を見ていると、日本の子供たちが本当に気の毒に思えてくる。

 スウェーデンの人たちがこれだけ自然を愛する理由のひとつは、四季の鮮烈さにある。冬はひどく寒いだけでなく、とにかく暗い。日照時間はわずか6時間。朝9時に日が昇ったと思ったら、午後3時にはもう沈む。一面の銀世界となれば、まだ良いが、どんより曇った日など、空を見上げるだけで憂鬱になる。だから春が来て一気に新緑が芽吹いた時のうれしさは、言葉に尽くしがたいし、夏の白夜の季節の楽しさは、厳しい冬あってのものだ。秋の寂しさといったら、どんなに明るい人でもしんみりしてしまうほど本格的だ。

 日本だって、もともとは季節感の強い国だったはずである。だが都会で季節感を感じたくても、肝心の自然がほとんど残っていない。大人も子供も忙しすぎて、わずかに残された自然に目を向ける心のゆとりまで失いがちだ。
 子供の遊びは時代を反映する。このデジタル時代にテレビゲームを取り上げることは不可能だし、その必要もないと思う。けれどもバーチャルリアリティーしか知らない子供たちがそのまま大人になったら、社会はどうなってしまうのだろうか。こんな時代だからこそ、声を大にして言いたい。子供たちにもっと自然を−。

(小児科医、スウェーデン・カロリンスカ研究所に留学中)

 “自然”を求める気持ちは誰にでもあるはず。しかし、毎日の気忙しさや便利さ、快適さに負けて段々と“不自然”な生活に陥ってしまっている。
 子どもが子どもらしくなるためには、それなりの環境が必要だと思う。暑い時にはどうしたら良いのだろうか? 逆に寒い時には? 今の日本の子ども達なら、殆どが「クーラーや暖房機のスィッチを入れる」と答えるのではないだろうか。それで本当にこれからの人生を生きていかれるのだろうか?
 汗すること、汚れること、思い切り身体を動かせること、自然の役割や仕組みを理解し、応用できる知識や技術を得ること等々は緊急時にも最小限度の被害で食い止め、そこから生き抜いていく上でも必要なことである。しかし、子どもの頃から身体を動かすことを嫌がり、快適な環境の中だけでの生活を続けていては体力がつくはずがありません。教えられた勉強を覚えるだけ、機械との付き合いだけでは生きていくための応用力がつくはずがありません。
 “自然”とは、常に決められた法則に則る訳ではないから“自然”なのではないだろうか? 何があっても、どのように環境が変化しようと、それに合わせて対処していけるのはそれなりの体力と知識と技術が必要です。それを学ばせてくれるのは“自然”の中だけなのだと思う。
 私達が生きている社会は残念ながら“危険”だらけですある。その際たるものが車であり、火であり、水であろう。その中で、子ども達にどのように“危険”を回避して生きていくかを教えるには、“危険”の無いところで教えても、ましてや生活させても意味が無い。“危険”と“安全”とは正反対のものではなく、隣り合わせにあることをきちんと教えることが重要なのだと思う。

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