河北新報−2000年(平成12年)10月07日(土)

くらし

    教職に行き詰まり

「賢治の学校」代表

  小学校の頃から社会的な問題意識があったという。中学・高校は学校の自治活動に取り組み、大学では学生運動に明け暮れた。そして小学校教師に。

  だが、やがて自分の授業に行き詰まりを感じた。“良い先生”と言われていたが「自分はなんて人を騙すことがうまいんだ。自分の嘘を暴かないといけない」と思い、教育雑誌「ひと」の読者が学び交流する場「ひと塾」に参加した。

  そこで出会ったのが演出家の竹内敏晴氏。氏のレッスンの中で「本当に社会を変えたいと思っているのか。本当にそのことを体がもとめているのか。何のために授業をしているのか」が問われたと言う。

 話し掛けのレッスンでは言葉の力とエネルギーに気付き、「自分の声が相手にどのような波紋を起こしているのかが見えるようになった」

 授業が変わった。子どもたちの頭ではなく体に呼び掛けた。体の中に持っている無意識の世界に働き掛けた。そして「命」に付いて考えることが必要と思い、授業で豚一頭を解体し料理した。

 だが94年に教師を辞めた。「子供が大変なのに危機感を持たない親に絶望したのです」。そして、宮沢賢治の精神を受け継ぎ、人間的つながりを再生する「賢治の学校」を設立した。今からは不登校の子どもたちの居場所作りにも取り組む。

 最近の児童虐待や少年事件には“戦争”の影響を感じている。「人の首を切った神戸の少年を“残虐”だと言う人が、太平洋戦争で行われた残虐行為を批判しない。戦争から帰った人が家族を叩き、その暴力が親から子へと続いている。戦争に向き合わないと、“暴力”の連鎖は断ち切れない」

いっぽのコメント
 大人でも子供でも“良い人”には“無理”が付きまとう。そして、それは自分を見失うことにつながる。
 いまの子供達は大人達の勝手な価値基準の中でがんじがらめにされている。その反動が様々な形で噴出しているだけなのだ。一番の“悪”の根源は親をはじめとする大人達がそのことに気付いていないことだ。親は何かあれば「こんなにあなたのことを思っているのに」とか「こんなに贅沢をさせているのに何が不満なんだ」と言うが、子供たちは贅沢をさせて欲しいんじゃない。親に自分のことを理解して欲しい、自分の全てを受け入れて欲しい、自分を愛して欲しいだけなのだ。それなのに親の希望する“良い子”にならなければ自分のほうを見てくれない、自分を愛してくれないことを肌で感じ取っているのだ。その結果が、自己破壊であり、家庭内暴力だと思っている。
 「悪いことは悪い、良いことは良い」とはっきりけじめをつけること、良い面は誉め、延ばし、悪い面は諭し、気を付けるように指導する、それだけで良い筈なのに、自分たちの問題には目を瞑ったり言い訳でごまかし、子供達には厳しく叱責するだけでは子供達が“人間”らしく育つ訳がない。
 もっともっと“日常生活”の中から学ぶ必要がある。

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