読売新聞(岩手県版)−2000年(平成12年)10月02日(月)     

考証 2000

 曲がり角 五輪課題持ち越し

                                                       運動部長 迫田 泰敏

 南半球で44年ぶりに開催されたシドニー・オリンピックは、スポーツ好きな国民性も手伝って、熱狂のうちに聖火が消え、4年後の開催都市で五輪発祥の地、ギリシャのアテネに引き継がれた。

 ミレニアムを記念した20世紀最後の五輪を振り返ってみると、前回の米国アトランタの時と同様、テレビ放映権を軸にした商業化の傾向は依然変わらず、“五輪ビジネス”がオリンピックを支えている。

 開会式は、テレビに合わせたイベントが幅を利かせた。予定より50分も延びたが、プレ・イベントを含めると延々、5時間にわたった。奇抜な趣向のイベントが続いて、スポーツの大会から逸脱した“番組”が、最近の五輪の特徴になってしまった。

 シドニー五輪の組織委員会と豪州五輪委員会に入るテレビ放映権料は総収入の44%にあたる863億円。アメリカで独占放映権を獲得したNBCテレビは一局で、国際オリンピック委員会(IOC)に758億円(この中から組織委にも分配)を支払っている。その金力を背景に1988年のソウル五輪では、男子百b決勝を現地の朝に実施、米国のゴールデンアワーに合わせたこともあった。

 今回こそ、時差が15時間と開き過ぎ、競技時間の非常識な変更要求はなかったが、テレビの要求を背景にした商業五輪の肥大化はとどまることを知らない。

 競技数は前回を2つ上回って28、種目数は29増えて300になった。映像として派手で、いわゆるテレビ受けする種目が続々、加わっている。

 商業化と裏腹な関係にあるドーピング(禁止薬物使用)では悲劇が起こってしまった。体操のアンドレーア・ラドゥカン選手(ルーマニア)(16)が女子個人総合の金メダルをはく奪された。

 チーム・ドクターが処方した風邪薬を飲んだため、とされ、選手個人の責任は極めて軽くは見えたにもかかわらず、国際オリンピック委員会が厳しい処置をとったのは、警鐘の意味が強い。選手にとっては、ドーピング発覚は死活問題のため、「訴訟」が相次いでいることから、ルールを厳格に守る姿勢を示したといえよう。ただ、この警鐘がドーピングを根絶させるとは、とても思えない。

 商業化、肥大化、ドーピングなど、曲がり角に来たオリンピックの諸問題は、解決の糸口すらつかめないまま、近代五輪発祥の地、ギリシャに持ち越されることが残念でならない。

 競技的には、競泳で世界新のコ−ルが相次いだが、陸上は記録が低調だった。

 だが、水泳、陸上ばかりでなく、野球をはじめ、あらゆるスポーツに客が押し寄せた。最終聖火ランナーになった先住民族アボリジニのキャシー・フリーマン選手(27)が、女子四百bで優勝して最高潮に達し、シドニーの顔となった。

 そして各会場でスポーツ観戦をお祭り気分で楽しみ、あたたかい声援を送り続けた“オージー”の素朴なホスピタリティー精神の中にこそ、オリンピックの原点を見た思いがした。

☆いっぽのコメント☆
 「スポーツの世界に政治が入ってはいけない」とはそれまでも言われてきたことであるが、“五輪ビジネス”に象徴されるような商業化の波はオリンピック本来の目的を見失わせる恐れさえ出てきていると思う。
 運営は参加選手が最大限の力を発揮出来ることを目指して欲しいし、マスコミをはじめ様々な形で関わった企業(スポンサー)は自社の利益ばかり考えずにそのことのみで協力して欲しい。
 オリンピックまでが“現実”を見せつけるものになってしまった場合、それを見ていた子供達に与える影響は計り知れないものになる。
 オリンピックが子供達に夢と希望を、そして、人々の心に平和を与えるものであって欲しい。

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